Jazz にまつわる話
□ 若山邦紘 Kunihiro Wakayama Website: Story of Jazz 歌好きの私が初めて合唱をやらされたのは、幼稚舎5年の時だったと思う。草野先生から放課後、居残り命令が出た。ヨハン・シュトラウスⅡの「美しき青きドナウ」を2部合唱だったか3部合唱だったか、歌わされた。 何故歌わされたのか分からないまま練習した後、学年末の学芸会に赤屋根(講堂)でオンステージだった。やっと、居残りの訳が分かった。 普通部になって、川上ガマちゃんからウクレレを習った。夏の合宿に持って来てハワイアンを歌っていた。「小さな橋の下」などを弾き語りするのだ。普通は歌を憶えその伴奏のコードを憶えるのだが、ガマちゃんに質問したのは、「どんな押さえ方(コードの種類)があるのか?」だった。実に私らしい問いかけだった。合宿後はすぐに神田のカワセに行ってウクレレを買ってきた。これに飽き足らず、また、カワセに行ってギターを買ってきた。アコースティックのピックギターだった。昭和29年の出来事。
高校時代に素晴らしい音楽の岡田先生に出会った。まるで音大で教えるような音楽理論を高校生に講義した。それに感動して、先生の合唱団、楽友会に参加しで宗教曲の大曲をオーケストラバックで歌ってきた。音楽の基礎理論を勉強したのがこの時期だった。余技・お遊びにトリオやカルテットでジャズ・コーラスやバーバーショップ・ハーモニーを楽しんでいた。
ニューオリンズはアメリカの都市となる以前はフランス領、次いでスペインの都市でした。もう一度フランスの統治に戻っています。ですから、ヨーロッパの音楽的素地がいろいろあったことが伺えます。南北戦争以前には立派なオペラハウスがあったそうです。
ニューイングランドからニューオリンズにかけてのすべての歌と旋律(賛美歌、民謡、黒人霊歌、ワークソング、ゴスペル、ブルース、ラグタイム)が混ざり合いアメリカ音楽が形成されています。南部地方では、これにアフリカの太鼓のリズムが織り込まれ”Jazz”と呼ばれるアメリカ音楽が生まれたのです。この太鼓のリズムがジャズを他の音楽と区別させるのです。
ニューオリンズにストーリーヴィルという歓楽街(売娼街・red-light district)が1897年にオープンし、そこで1910年代半ばまでジャズが栄えました。当時の市の助役、ストーリー(Sidney Story)がそれまで市中でバラバラだった売娼街をここにまとめたのであります。Basin Streetの北側の一角です。南側のミシシッピ川に沿った一帯はFrench Quaterになります。島原とか吉原なんて場所だったと思っていただけばよいのです。